初めての看取りを終えて

Ⅰ.はじめに

 私どもの施設で先日、開所して10ヶ年目にしてはじめて施設をあげての意識した看取りを実施いたしました。
 私どもの施設の配置医師は非常勤医であり、日常的に勤務している病院の勤務状況から、24時間必要な時に診療をすることは不可能なのである。従って、これまでターミナルステージに入った利用者は病院へ入院となることが常であったのである。


 しかし今回、利用者・家族・施設スタッフの強い希望もあり配置医も努力の意志を固め実現したのであった。
先にも記してきたが、私どもは特養の「しごと」は二つの「業務」があると整理してきた。
第一の「しごと」は「終の住処」としてのターミナルケア
第二に在宅復帰あるいは社会復帰のための「トレーニングセンター」としての「しごと」
である。
第二のトレーニングセンターとしての「しごと」は先に「自立介護」として記してきたので今回はターミナルケアの実践を通して得られたことを少し整理していきたい。



Ⅱ. 実施を通して

 今回私どもはターミナルステージに入った利用者を施設で看取ることを決めました。それは看取りが当然の私どもの「しごと」であることと同時に「介護」のあり方を考えていく上で決して避けて通ることのできない課題であるからです。いや、それ以上に「介護」の集大成のような気がしてならないからでした。だから私どもは全職員で看取りの体験を共有しようとしました。
 そのために事前に状況の共有を目的とした情報の伝達は意識的に実施した事は当然の事とし、私どもがかねてより準備していた「看取り介護指針」の研修会を改めて実施し、その時の準備をしてきました。
 そして看取りの翌日、理事長名で全職員に通達を出しました。



全職員におねがい


 昨日、私どもの利用者のお一人を看取ることが出来ました。私どもの施設が生まれ、意識しての「看取り介護」は初めてのことでした。「特養みかんの丘」は2種類のしごとが有ると、かねがね私は言ってまいりました。
 第一には「在宅復帰のためのトレーニング機能」としてのしごと。
 第二には「終の住居」としての「看取り介護」のしごと。
おかげ様で私どもは大きな経験をつむことができました。
 看取り介護のステージに利用者が入った場合に、何をどのように行うべきかという知識と技術、そして心構えの必要性を深く認識できたと思います。
 そのことはこれから全職員をあげて検証、整理をしましょう。

 それと同時に私どもが理解できたことは、看取り介護は何も特別なことではなく、日常行っている介護の延長線であり、その私どもの「しごと」の完成度が試されるステージであることを実感したと思います。
 私どもは利用者一人一人の基本的な生活者としての基礎情報や症状に対する基本的な知識を得たうえで少しでも安寧な状態を保つケアであったり、その人に必要なケアの方法を実施したりするのが「しごと」です。また、その状態を妨害する様々な原因を可能なかぎり防止・除去することが看取り介護に特に必要なことだと思います。
 しかし、このことはなにも看取り介護にかぎったことではありません。それは、その段階に入る以前からのごく一般的な日常介護に求められることなのです。

 このように看取り介護がこれまでの日常から特別にかけはなれたことではないのです。逆なのです。これまでの日常から遠くはなれた時間や空間にしてはいけないのです。
 看取り介護は「死」の援助ではなく「生きる」姿をいかに支えるかという視点で必要なのです。
 その人らしい生活、あるいはその人の「ほまれ」ある生き方の延長線に「死」があるべきだと思います。だから私どもは「生きる」姿をいかに支え続ける必要があると思います。
 人は誰しも、最後まで自分らしく生きていく為にその環境の中で、また心が落ち着く場所での安心を望むのだと思います。
 また、それはごく自然なことだと思います。だから私どもは「在宅復帰」との合言葉を使いました。だが現実的にはその物理的空間をつくることは社会的にますます困難になりつつあります。
 だから私どもは「特養を終の住居」として一方で位置づけたいのです。そこには死に向かう人が安心で安寧な世界を保障する必要があります。

 従って日頃の介護が看取り介護には問われると記したのです。
 一方私どもの施設は入居施設です。医療機関とは違います。
 病院等の医療機関は病を治すことを目的としています。仮にターミナルケアユニットと称される場があったとしてもごくあたり前のことですが医療は病を治す事を目的とします。
 従って、医療のせまい解釈ではある意味で死は治療の敗北と解されます。その理由からも死者を送り出すのは「うら口」からとの文化が定着しているのだと思います。
私どもは違います。
「終の住居」なのです。死は必然である以上、また介護の完成型としての看取りである以上、私どもと利用者にとっての介護の終点です。自信をもって正面玄関からお送りする必要があります。また、利用者にとって安心で安寧な場所であったことの証しとして私ども職員あるいは可能であれば利用者全員をもって見送りするのを理想とします。


 以上のようなことが昨日見送りした事に対する私の「おもい」です。

 

 ぜひ全職員1人1人が必ず一昨日体験した看取りに関する感想、考え等を文章にして発表して下さい。
 これこそ、私ども全員の「看取り介護」になると思います。
 そして、それを私どもからご家族に差し上げたいと思います。なぜなら、私どもは全職員で利用者をお見送りする文化を育みたいからです。

2014年10月1日17:20分 金澤 剛

 

と記し全職員に知らせ、その結果様々な角度から様々な意見、感想が寄せられました。
その中で代表的なのが、
入職して2年目の新人からの感想でした。

「私は介護職について2年目ですが「死」ということに鈍感だったと思います。
今まで「死」とは日常からかけ離れていて特別遠いものだと思っていました。(中略)
 しかし、今回の看取りを通して入居している利用者さんにとって家は「みかんの丘」であり、そこで「死」を迎えるのは特別なことではなく自然なことなんだと思いました。
その方がどんな最後を送るかは日頃のケアのあり方だと見つめ直すこともできました。


また別の職員は

「看取ることは本人が生きてきたことを伝えていくことだと思うので、本人は話す事ができなかったが、
家族が代弁しその人が生きてきた証をみんなで共有し、伝え、今後看取りを行っていく中で
利用者がいろいろ教えてくれ、勉強させて頂いたのでこれをスタッフで共有していきたい。


 このような内容がスタッフの感想の過半を占めていたのです。


そうです。今回の看取りを通して先に記してきた看取り介護は何も特別なことではなく、
逆に日頃の介護の実践的な検証そのものであることが私どもは全スタッフと確認できたのです。
そのことで「介護のしごとは実に重要で、やりがいのあるしごと」であると言い切る自信が皆共有できたことが最高の収穫でしょう。

しかし、逆にいつか記した利用者に対する過度の思い入れ、また利用者側からする過度の要求が生じさせる「なやましさ」が常につきまとうのも介護のしごとの特色でもあります。だからプロのしごととしての「介護のあり方」を一日も早く確立させたいものです。

 

 それはともかく今回の看取りを通して改めて「死の旅立ちの瞬間」を看取ることが社会的に許されているのは、
関係家族、医師や看護師等の医療関係者、僧侶や牧師などの宗教関係者、それに介護職ぐらいでしょう。
私どもは人が死にのぞむ時に同席が許される特別な職業なのです。
私どもの介護を創りあげていく作業の出発点あるいは立脚点はここから始めていきたいものです。

 

平成26年10月29日
金澤 剛


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