―今回の介護保険改定は―



Ⅰ.今回の介護保険改定は

 今回の改定は、介護保険制度が創設され15年。この15年間の課題を整理し2025年を目指した再出発に向けた階段であるのではないか。
 それは第一に厳しい減額。第二に新しく生まれた介護保険を制度的に推進・定義させるために大きく牽引してきた各種サービスラインの中でその最大の役割を担ってきた、通所介護・通所リハビリテーション事業の拡大に急ブレーキをかける等、各種サービスラインを「地域包括ケアシステムつくり」に向け再編成を開始した事であろう。
 その中で、私どもに直接関係する特別養護老人ホームに関する改定を見てみよう。それはある意味で今回の改定の性格で決定づけている事かもしれない「特別養護老人ホーム」に対する位置づけを国が変えたのである。
 それまで特養はつかさどる法として老人福祉法にその目的として「入所者の処遇に関する計画に基づき、可能な限り居宅における生活の復帰を念願におき・・・」と在宅復帰を一義的に実施するための機関として位置づけられてきた。
 だが、今回の改定にあっては「中重度の居宅生活を送ることが困難な要介護者を支える施設として位置づけられ要介護3以上の高齢者の入所施設として役割が明確化したのであった。
 言葉を変えていえば、特養は「終の棲家」として役割を明確化し、在宅生活を送ることが困難な要介護者が死に至るまでの生活の場とする役割と目的をはっきりさせたのである。そのことは今誰しもが特養は「終の棲家」であるとの認識があり、それが社会的共通認識あるいは、常識的であるなかで「居宅に於ける生活の復帰」等の法的規定は陳腐化したのである。
 今や、いや、今後ますます高齢者介護は「家庭問題」から「社会問題」あるいは「地域問題」でありその介護は家庭から社会に変化させ担い支える課題であるが、そうさせるのである。
 今私どもは視点を明確にする必要がある。
 毎日施設入居者の生活を支えるのを「しごと」としている私どもは「しごと」の実感から施設に入所する利用者の大半はなにも自らが望んで入所している人はいない。大半は本人の意思ではなく家族の都合で入所してきているのである。だから何人、いや何百人もの家族が入所の順番を待っているのである。
 しかし、入所者は当然のように在宅生活を強く望んでいるのである。私どもはその狭間に常に立たされ、本人の側に立てば帰宅を、家族の側に立てば当然入所生活をとの問である。しかし、現実は一旦入所をすると帰る家がなくなるのが常である。それはもともと家庭も介護の限界を感じて入所を選んだ以上当然のことであるが、そこで私どもは否応もなしにいかにして入所生活になじむか、様々な工夫を凝らすのである。それが現実の特養生活なのである。言葉を変えれば特養には残酷な言葉を日常用語として使用している。それは「帰宅願望」あるいは「離設」。このような現状であるがために私どもは利用者サイドから、在宅復帰がいかにスムーズにいくか、様々な苦労を重ねてきたのである。
 今、私どもは一般的な在宅復帰を単純に目指す事の困難性にぶつかっている。その状態の中で今回は国から、あるいは制度から在宅復帰施設の位置づけが外されたのである。
 私どもの目的は逆にはっきりした。在宅復帰が可能な利用者はその道を目指そう。しかし、大半の利用者がそうであるように不可能な利用者は「地域復帰」を目指そう。である。それが可能な地域システムとして私どもから見る「地域包括ケアシステム」創りをやろう。



Ⅱ. 地域の拠点としての特養について

 今回の改定に於いて特養を地域包括ケアシステム上の位置づけとしてもう一つ「地域の拠点」としての役割が位置づけられた。そのシステム設計図によると拠点とは在宅サービスの提供、地域の生活困難者への支援などであり、それは地域活性化にも取り組み、地域包括ケアを実現する「まちづくり」に貢献する拠点としての特養である。そしてその具体策として今回の改定では例えば施設や通所介護事業所の相談員、あるいはケアマネージャー等が積極的に地域活動に出かけることを業務として保障し、それまでの施設のコーディネーターから地域のコーディネーターとして役割を課している。



Ⅲ. 施設と居宅の二元論について

私どもは特養の位置づけとして「終の棲家」と「在宅復帰のトレーニングセンター」としてきた。今回の問題は、この「トレーニングセンター」機能の問題である。今回の問題で概念の変更を国が決定したことは事実であるが、現実が先行してその現実を概念化に過ぎない。しかし新たに「地域介護の拠点」と位置づけるところは整理が必要となろう。
 その為に第一に介護に対するとらえ方の問題である。15年前、介護保険制度が施行され、その制度の実施を通し、高齢者介護の深化は進んできているが、その中で私どもが根本的に疑問あるいは違和感を持つのは次の事である。
 国、あるいは制度は高齢者は加齢とともに介護度はすすむものであり、要介護度の改善は枠の外の問題との前提に立ち制度設計している点である。仮にあるとすればそれは予防概念の世界であり「介護支援」の段階のことであるとの考えである。
 だが、現実は私どもの実践もそうであったが介護度の改善は可能なのである。それは仮に寝たきりの高齢者でもその高齢者の生活機能を理解し適切な処置をすれば、当然寝たきりは防げるしまた、それよりむしろベッドから起き上がることも可能となるのである。
 それは例えば、北欧諸国には寝たきり状態が日本より少ない現実をみればよりはっきりしてくるのである。今私どもはこの数年間の「自立支援介護」の実践の結果、自信を持って証明ができるほどに近づきつつあるのである。しかし、問題なのは制度がそのことを取り入れていない点である。しかも特養は「終の棲家」であり、その施設入所からの卒業はターミナルステージ後と社会的に認識されている事なのである。
 今回の改定はその認識を固定した事に他ならない。だが私どもはこの件は次のように解釈し現在まで進めてきた「自立支援介護」の実践の内実深化を進めて行きたい。
 それは特養の入所者に限らず、人は誰でもそれまでの暮らしと断絶しない環境で人とのつながりを保ちつつ生活し続けることが本来の姿のはずである。
 私どもは身体的能力が落ちたとしても人は回生への気力を自然にわきあがる環境を整えることと、身体的能力を同時に回復させる技術、環境等をとりそろえたシステムを特養を中心にして地域への広がりの中で創りあげれば可能となるのである。だからこそその必要を今こそ強く思っている。
 それが私どもの地域の拠点としての特養のイメージである。
 問題なのは特養施設の入所者処遇の延長線として、私どもは地域をとらえている。入所者が社会的存在として自立する為に地域が必要である。また、それがあって初めて私どもの地域なのである。人は他人との交わりの中でしか自己認識ができない社会的産物なのである。だが、今回の改定で語られている「拠点としての特養」は特養がもつ専門家としてのスタッフあるいは、たとえば特養の厨房で食事をつくり地域への配食、機能の利便性を利用して地域サービスをと考えられている。
 そのことはまた、施設と居宅と概念が二分された世界を特養という施設の中で交わりと考えられているのである。


Ⅳ. 施設と居宅との二元論がもたらす問題

 介護保険のサービスは「居宅サービス」と「施設サービス」と「地域密着型サービス」の3種類のサービス郡に分かれている。しかし、概念的には「居宅サービス」の同根として「地域密着型サービス」が含まれているため、大別すると「居宅サービス」と「施設サービス」の2種類に分類される。
 そのためか、極論を述べると2種類の室に分かれた介護保険の家は室どうしの情報の行き来などがあまりなく、それぞれに独立しているのが現状なのである。
 例えば、施設入所者に対する処遇計画は施設のケアマネージャーの「しごと」であり、地域にある居宅介護支援事業所のそれとは別のベクトルとして稼働している。その最たるものが施設に併設されているショートステイの利用者の責任範囲は地域にある居宅介護支援事業所のそれであり、施設ケアマネのそれではない。
 このような制度的矛盾は現実的に利用者の処遇に直接影響を及ぼす。仮に居宅介護支援事業所のケアマネージャーの利用者が特養などの施設に入所した場合、当然施設ケアマネの責任へと移行し、仮に退所した場合は又、居宅ケアマネのそれに帰るのである。これでは利用者処遇の一貫性はそがれて当然のことであり、その制度上の問題からしても施設からの在宅復帰等はそもそも制度的に発想の外であるのではないかと疑いたくもある。
 現実の運営はこの様なことが大きな問題となってきているのである。それは施設が現実的に「終の棲家」としてのシステムで運営されている以上、そこには対現実の地域社会のつながり等はあまり必要がなく、入所者の生活からは現実の地域社会の秩序等を必要とすることなく、施設内で自己完結で十分なのである。
 今、私どもが現実の地域社会の文化を必要とし、その世界の中に入ることこそ入所者の元気を取り戻し、例え施設で死を迎えることになっても対社会性の中で充実を味わえるはずである。だから常に現実の地域社会を必要としているはずである施設のケアマネージャーと居宅介護支援事業所のそれをそれぞれ分離して存在している事は施設を地域社会から切り離し、隔離させることに他ならない。
 それではなぜこのような仕組みが出来上がってしまったのであろう。



Ⅴ. 居宅と施設の二元論が生まれたのはなぜ

 昭和から平成に変わる頃、来たるべき21世紀に予想される少子高齢化社会、それに対応する社会福祉政策として当時「ゴールドプラン」が企画され、その枠の中で介護保険が設計させ制度化されてきた。それはこのまま高齢社会化すると当然医療保険制度は破たん。その為に高齢者対策として介護保険制度の新設となっていったのである。
 あくまでサービスラインの側から見ると医療保険のサービスラインの延長線として企画されてきたのであった。それは医療があるいは病院の文化をそのまま取り入れたのであった。医療は入院・退院の入口出口があって病院では退院をすると在宅であり、医療が必要であれば診療所の通院と在宅医療なのである。
 そこには入院という施設と在宅という居宅の2種類、入院か在宅かの二元論しかなかったのである。
 医療は治療という目的のための文化である。だから治療を施す場として病院があり、入院があるのである。入院治療の必要がなくなると退院であり、在宅医療なのである。それは治療行為のための手段として入院あるいは在宅なのである。
 このことを介護保険のサービスラインの配置にもそのままあてはめたのであった。
 「施設か居宅か」の二元論、しかし問題なのは介護は生活そのものであることである。施設であれ、居宅であれ生活の場の問題であり必然的に分離と考えることはできないはずである。それを制度として分離したところに問題の所在がある。
 それはあたかも縦割行政のひずみと言われる課題のようなものが、事の大小は別として見なされる。



Ⅵ. さてどうするか

 昭和から平成に変わる頃、来たるべき21世紀に予想される少子高齢化社会、それに対応する社会福祉政策として当時「ゴールドプラン」が企画され、その枠の中で介護保険が設計させ制度化されてきた。それはこのまま高齢社会化すると当然医療保険制度は破たん。その為に高齢者対策として介護保険制度の新設となっていったのである。
 あくまでサービスラインの側から見ると医療保険のサービスラインの延長線として企画されてきたのであった。それは医療があるいは病院の文化をそのまま取り入れたのであった。医療は入院・退院の入口出口があって病院では退院をすると在宅であり、医療が必要であれば診療所の通院と在宅医療なのである。
 そこには入院という施設と在宅という居宅の2種類、入院か在宅かの二元論しかなかったのである。
 医療は治療という目的のための文化である。だから治療を施す場として病院があり、入院があるのである。入院治療の必要がなくなると退院であり、在宅医療なのである。それは治療行為のための手段として入院あるいは在宅なのである。
 このことを介護保険のサービスラインの配置にもそのままあてはめたのであった。
 「施設か居宅か」の二元論、しかし問題なのは介護は生活そのものであることである。施設であれ、居宅であれ生活の場の問題であり必然的に分離と考えることはできないはずである。それを制度として分離したところに問題の所在がある。
 それはあたかも縦割行政のひずみと言われる課題のようなものが、事の大小は別として見なされる。



平成27年1月28日
金澤 剛


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