地域で支える特別養護老人ホーム

自立支援型介護実践特養の新たな課題について



〈はじめに〉

 私どもが自立支援型介護の実践に着手して3ヵ年が経過し、今回この運動として第一のハードルであった「おむつゼロ」を達成することができた。
それはただ単に施設入所者の「おむつ」を全員はずすことが出来た事ではあるが、それを実現するにはこの実践者たちが言う4大介護、すなわち水分・栄養・運動・排泄の課題がそれぞれに有機的に関連し合い体内サイクルの好回転を生み出してきた結果なのである。
この過程で私どもは様々な事を学んだ。その最大のものはこれまでの介護に対する考え方の全面的な反省である。だから今私たちは介護そのものの私どもなりの構築の必要性を切に必要としているし、人に伝える介護、あるいは介護技術の必要性も感じている。科学としての介護の必要性を毎日の介護現場から感じているのである。
また、自立支援型介護の実践の結果、施設利用者の活動性は確かに増加し、介護必要度をも改善してきている。私どもがその動きを生む為に、いわゆる4大介護の実践に対して利用者本人がいかに積極的になるかが一つのポイントでもある。
そのために当初はスタッフの促しを前面に出しながらその結果、活性が上がり利用者が4大介護の必要性を感じ始め、ますます活性が上がるプラス回転が生じ始める。すると次に必要になってくるのは利用者の目的であり、その目的達成に向けた生活の張りが生まれるとその結果は介護必要度の改善であるとし自立なのであろう。そのサイクルを生み出すために今私どもが解決しなければならないのは4大介護実践を支える利用者一人一人の「目的」である。特養生活に張りを出させる生活の取りあえずの目的であり、しかも実現可能な課題とその達成なのである。
そのような「課題」の設定が今一番悩ましい問題なのである。
特養は世の人はみな「終の住居」として位置付けている。人生の最後のステージの生活の場として世の中の人は誰でも思っているというのが普通である。ですから安らかに静かに安寧な日々を送るのが特養の生活であると誰でもが思っている・・・。家族も、ましてや本人も。
しかし昨今にあっては入所の最大の原因は家庭で面倒をみることができず入所してくるのが過半なのである。時代は家庭介護力崩壊の時代なのである。だから特養の現状は一人ひとりに必要な介護を忠実に施せばまだまだ要介護状態の改善可能の人が多数入所しているにも関わらず、ターミナルの道を歩き続けているのが現状なのである。
本人も世の中も文字通り「終の住居」としてしか特養を見ることができないでいるのである。
今、私どもはこの風潮に対峙し、たとえ介護度が高くなってもそれは単に介護必要度が高くなったにしかすぎず、自立するエネルギーさえあれば改善するのである、とのことを信念として持つことができた3ヵ年であった。ただ、必要なのは利用者が再び社会生活を送ることを夢見ることができる風潮とシステムを作り上げる社会環境の必要性なのである。



Ⅰ.「在宅復帰」のスローガンの挫折

 家庭介護力の崩壊の結果、特養に入所し、その後入所特養に於いての自立支援型介護の実践により家庭復帰可能な身体能力の再びの獲得、これがとりあえずの私どもの施設目標「在宅復帰」を合言葉にそのトレーニングセンター機能のような、機能の強化を施設全体の方針に掲げた時があった。当時、私どもの自立支援型介護の確立に向けて施設目標を一点に集中させるための合言葉としてそれを使った。
だが、結果的にその合言葉が逆に運動を停滞、あるいは後退させる結果を招いたのであった。なぜならば、見かたを利用者家族等の介護する側に置くと、せっかく利用者が施設で生活を開始しようやく家庭介護から解放され文字通りの家庭崩壊の危機から免れた時に、再び在宅復帰等たとえ施設側のスローガンであっても迷惑千万なことであり、困ることなのである。その空気は当然スタッフに直接あるいは間接的に伝わり運動にブレーキがかかったのであった。私達は「まちがった」のであった。
事の真意はともあれ、利用者家族、あるいは利用者本人にまたはスタッフに在宅か施設かの2者択一の事として表現し理解されてしまったのである。今から思えばあまりにも「舌足らず」の表現をしてしまったのである。そのこころは在宅生活を送ることができるほどの身体的能力の復活とそれを掴み取る可能な目標を定め、利用者に努力を促そうとするところにあったのであった。
なぜなら利用者の本音は家に帰り家族と共に生活をしたいからである。しかし、現実はそれができないから施設入所生活なのですが。
今私どもが整理し解決しなければならない宿題、課題はこのことでもある。それは、特養は社会的に入所生活と呼ばれ、終の住居と皆に思われ、その生活から家庭あるいは地域と直接的な関係を持たなくても成り立つ秩序を持っているのである。もっと簡単にいえば特養入所生活で介護度が下がる等想定外のことなのである。その空気に充満しているのが特養だったのであろう。
この特養を支える文化は地域、あるいは社会的全体は当然なこととし、それは利用者、家族、あるいは働くスタッフにもある共通の認識なのである。しかし、ある意味で当然のことでもあろう。なぜ故ならば国が定めた制度そのものもそのことを前提としたそれであり、逆に制度であるがためにそのことを固定しているのである。すべて「在宅」か「施設」かの2元論が基になっていることに原因があるのであろう。
だが、そもそもの人間の生活スタイルはこのような2元論で割り切ることは無理なのでありそれは矛盾なのである。そのことを今考えてみよう。そのために少し現況を整理してみよう。



Ⅱ.ICFの考え方と自立支援介護

 ひもとく第一として、利用者の在宅復帰あるいは社会復帰等、復帰に至る過程の問題として「リハビリテーション」の面から考えてみたい。
今から約15年ほど前の2001年世界保健機構(WHO)の総会で人間と環境との相互作用の基本的な枠組みとして人間の健康状態を分類するモデルとして国際生活機能分類(ICF)が発表された。それはWHOが人間の障害に関する分類法の検討をはじめた1980年に発表された国際障害分類(ICIDH)の更新であった。
ICFは健康な生活を送っている人間はどのような機能を発揮している状態にあるのかを系統的に分類したものであり、いわば人間を理解するための共通言語であると位置づけられたのであった。
それは人間の営みを身体的機能と社会参加や活動をも評価の対象としたごく当たり前の評価基準であり「生活モデル」そのものであった。 それをもう少し言うと、
第一のファクターは人間の「心身機能・心体構造」のからだの動きや体の構造。
第二のファクターは人の「活動」であり人が生きていくうえで役立つ様々な生活行為。
第三のファクターは人の「参加」、それは人が社会的出来事に関与したり役割を果たしたりする行為。
この三つのファクターの総称として人間活動と見るみかたであり、これで構成された機能が生活機能と言いかえることもできるのである。
したがって、この分類法に於ける「障害」とはこの機能の低下した状態のことをいうのであった。
このことは、1980年に設定されたICIDHの分類法によると例えば本人の疾病が起因して機能障害が発生し、それゆえに社会的能力障害がともない必然的に本人の社会的不利益が発生するとの考え方である。その考え方に従えば障害が原因で社会生活を送ることができない、したがって社会的サポートが必要であるとの一方通行的整理の仕方で、例えば精神病院等施設入所等の現実を合理化していったのであった。介護保険制度ができる前のいわゆる措置時代における高齢者入所施設をもこの理論前提に立っていたのであろうか。
ICFの分類法によれば例えば、人間が現実の環境のもとで行っていた行為、あるいは活動参加を「実行行為」とよび、ある行為や課題を遂行するため発揮されているその人の持つ最高の生活機能を「能力」と言う。
さて、介護の問題であるが、この「能力」と「実行行為」には当然ギャップが生じる。そのギャップを見極め、それを埋めるあるいは改善する行為を本人があるいは他者がどのように計り実行する領域のひとつが介護であるし、計り実行するのが介護の専門性であろう。しかもその領域は何らかの障害が原因している。それは当然生活機能の状態のことであり、それは「機能障害」「活動制限」「参加制約」状態を生んでおりその領域全般を対象にするのが「介護」ではないか。したがって、利用者が必要とする介護は当然ICF分類法によって考えなければならない。それが今私どもが必要としているのものではないか。


Ⅲ.私どももまだICF分類的視点は欠落している

 先にも記したが、自立支援型介護の実践あるいは4大介護の実践により利用者の機能的・身体的機能の向上は可能となったがそれ以上のことはイメージできないのである。それは特養が地域社会に於いて単に入所施設としての役割しか与えられなく、特養側から地域へのベクトルがなく、その一方通行の対地域で言えば一方通行の関係であることに原因があると思われる。それ故に利用者も家族もスタッフも利用者が対地域の関係を必要とする段階になっても手も足もだせない状況なのであろう。特養側からは地域が見えないのである。このことを私どもの施設ではこのような状況である自立支援型介護の実践の現状の到達点であるため具体的に記してみよう。
特養入所者で自立支援介護の実施の結果、自立度があがり特養施設内に於ける環境では、これ以上の自立度向上にある程度の限界を感じていた。利用者約10人を同じ施設内にある併設通所介護事業所にて通所利用者と交わりながら通所介護事業所内でいう「機能訓練メニュー」をこなすことにした。その個別目標はこうである。

ある利用者
立位保持、歩行動作で安定して長時間保てる
であり、3か月後は
5分以上歩くことが可能となる

その目標達成は当然またたくまに完成である。それは第一に計画的科学的なリハビリテーションの実施。それにもまして力となったのは特養という限られた世界から通所介護事業所には現実の地域の知人、友人がいたり馴染みの関係がまたたくまに出来上がり、それぞれの利用者が地域住民と化したのであった。
現実の進行は確かにこうであるが、私どもの設定した目標は先に記したようにあくまで心身機能の改善とのの単目的な目標ではあるが利用者をとりまく環境がそうさせたのである。それは私どもの計画の稚拙さの証明でもありICFに対する私どもの無知の逆の証明にもなったことである。特養という現実の地域社会とは希薄な関係の社会から文字通り通所介護事業所との現実の地域社会の関係の中に、突然特養利用者が入ればそれは当然諸関係の中に自己を発見し、社会的存在としての私の主張を見つけ出すのは必然であった。そこには必然的にICFでいう「心身機能」「活動」そして「参加」の3要素の芽が生きているのである。したがって目標は結果的に完成したのである。
次に、今私どもは第二の目標として特別養護老人ホームに於ける目標設定、そして、現実の地域社会に参加して実施する目標を定める段階、すると通所介護事業所で生じさせた矛盾が露呈されることになる。それは現実の地域に於いて可能となる目標を定めることができないのである。それまで施設内で通じた、例えば自力歩行で100mなどの心身機能の改善のみを目標にしたところで地域とは無関係であるからだ。それは通所介護事業所で利用者が目標を達成した真の理由を見つけ出しICF的視点で利用者を見る視点の必要性を自覚する必要があるのだ。それがなければその必要が現実的に生まれた途端何も進まず、計画さえ作ることができないのが現実なのである。先の言葉を使えば手も足も出ないのである。これが今の特養である。このように対地域性との関係を喪失し施設入所生活のみの文化しか私どもは持ち得ていないのである。それをたとえ地域に開かれた特養であるとか、地域交流センターがある特養とか飾ったところで地域が訪ねてくる施設であり、一方通行の行き止まりの施設であることが現実なのである。
このような現実を言葉を変えれば先に記してきたICFの概念が生まれて15年以上も経過しているにも関わらず、介護現場になかなか定着しないのはなぜかと言い換えることが出来る。その原因の第一は介護の専門性が仮にあるとすれば、それは出自から言っても、医療から生まれ出てその延長線の枠の中にあるため、医療の直接的影響をうけているところに起因している。
具体的には医療の対象は一義的に疾病に対する対応である。どうしても先の分類の方法でいえばICIDH的視点にならざるを得ず、患者あるいは利用者の直接的な障害だけに目を向けがちであり、それから抜け出ることのむずかしさがあり、障害を疾病的な視点のみで見る見方から抜け出す事ができないのである。わたしどもは未だに利用者の生活あるいは生きることに目を向けることよりも最初に心身機能・身体構造から検討していくという発想から抜け出す事ができないのである。このことこそ、介護の専門性あるいは科学性を構築していく上での大前提になるにも関わらず。
第二の原因は介護現場のどこにでもあることではあるが、その中でも特に私どものような特養などに見られること、そもそも特養などの入所施設は生活の場であると言われているにも関わらず先に記したICFでいう3要素「心身機能・構造」「活動」「参加」の3要素があいまって生活と言われているにもかかわらず、特に「活動」や「参加」の要素が欠落している。
従って人が生きていくうえで役立つような生活行為や社会的な出来事に関与したりすることと断絶しているのが現状であり、それ以上に断絶させるのが施設生活であるかの如くが介護現場のある種の現状であったりする。



Ⅳ.ターミナルステージとのギアチェンジの問題

 確かに、人が年をとっていくことは当然心身機能の低下であり、そのことは当然社会性をはぎとっていく過程でもある。
一般的に病者の入院生活などは社会的生活をしなくても誰しもが文句を言われないし、言わない。この社会的合意が出来上がっているし、病者は病院治療に専念するために社会的役割をその間免除されている。加齢はこの病者役割への進行過程でもある。それと同時に介護は看護・医療へと道を譲らざるを得なくなるし、人は年とともに機能が低下するのは必然であるし、それは老人を肉体の機能へと変化させていく過程でもある。だが、その変化のタイミングは今の所私どもの力ではわからない。介護としてのターミナルステージへのギアチェンジのタイミングは今の所医療に委ねるしかない。ただ問題なのはそのギアチェンジのタイミングを無視し、例えば特養に入所=ターミナルステージ介護にて処遇する介護世界の文化の問題を私は言っているのである。なぜならばそこの完全に介護の破棄としてしか見えないからである。そこからはいつまでたっても介護の自立など生まれないからである。



Ⅴ.リハビリテーションの捉え方の変化

 平成27年度の介護報酬改革にあって特筆すべき点はいくつかあるが、特にその中で私が着目したいのはリハビリテーションの捉え方の問題である。
それは2025年問題を考えそして地域包括ケアシステムの稼働の現実性を考えた場合、当然の帰結ではあるが。今日国は約10年前に提示されていた「高齢者リハビリ研究会の報告書」「高齢者の地域に於けるリハビリテーションのあり方」を前提にして何年かの検討を重ね、今日リハビリテーション施策の方向性を明確にした。
それは
第一に身体機能に偏ったリハビリテーションの見直し
第二に個別性を重視した適時適切なリハビリテーションの実施
第三に居宅サービスの効果的・効率的連携
第四に高齢者の気概や意欲を引き出す取扱い
を議論の大前提にし、リハビリテーションのカテゴリーを急性期・回復期・生活期のリハビリテーションと分類し、体系的ICF分類とし生活機能の視点でリハビリテーションを整理したのであった。その分類はリハビリテーションの必要性と有用性を人の心身機能の時間変化の必要性として急性期は主に心身機能へのアプローチに重点を置き、回復期にはそれにまし活動へのアプローチを、そして生活期のリハビリテーションには参加へのアプローチに重点を置く、リハビリテーションの色分けを前提にし制度化されたのであった。
それは今まで重度な要介護状態となっても住み慣れた地域で自分らしく生活、それは生きがいや役割をもって生活できる地域をつくることを目標、しかし、とかく今までは「身体機能」に対する機能回復訓練にかたよって継続して提供される現状、その結果必要な「心身機能」「活動」「参加」のそれぞれの要素がバランスよく提供されることがなかった、そのことに対する反省からであった。そのために特に今日は生活期リハビリテーションの重点化、急性期から生活期までの一貫したリハビリテーションの継続をシステム化しそれまでの医療サイドで自己回転していたそれを生活期までをもとらえられるシステムとして制度化したのであった。それは言葉を変えれば医療と介護の領域の確認と本質的連携を求めてきた事でもあろう。



Ⅵ.さて特別養護老人ホームでは

 先に記した27年度介護報酬改定におけるリハビリテーションの捉え方の変化も特別養護老人ホームにはその影響は直接届かない。なぜならば、特養は制度設計者からみれば「終のすみか」であり、本質的に「リハビリテーション」を必要としない場所であるとの認識であるからであろう。設計者から見ると介護度3以上の中重度の要介護者の入所施設として位置づけターミナルステージの利用者の生活の場としてより純化したのであろう。
今私どもはそのことに対しては何も言うまい。なぜか。現実に介護度が下がる技術を今私どもは取得しつつあるし、現実に下がった利用者が生活をしているのだから。だからこそ、今私どもは今日のリハビリテーションの考え方であるICF分類に於ける生活機能の改善施設としてより徹底する施設運営をしてみたい。
最後に問題を整理してみよう。
第一にある程度利用者の自立へ向かう為の介護技術は手に入れつつある。だが、だからこそかもしれないが自立に向かう生活力の回復をテーマにした途端ブレーキがかかる、それは対社会性のハードルの問題でもある。
それは
ある人は家に帰ることを目標にしたところで帰る家がない
ある人は一日でも家族とともに生活を送ることを目標としても家族から断られる
ある人は昔の仲間に会いに行きたいが、家族が認知症になった本人を仲間に見せたがらない
などなどである。

一方私どもの3ヶ年強の時間の中で利用者の自立に向けた介護技術を蓄積しつつあり、利用者の身体的元気さは取り戻しつつあるのである。私どもはこの悩ましい回路に迷い込み、なかなか出口が見つからないのが現状なのである。
しかし、さきに記した通所介護事業所における例でも明確なように出口のありか、方向性は見え隠れしている。しかし、その出口に向かう回路がいまだ見つけられないのである。



Ⅶ.それはどうでしょうか

 在宅復帰のスローガンを私どもは降ろしたわけではない。その条件をもった利用者は家族と共にその実現に邁進するのは当然のことである。そのスタイルとし、在宅・入所相互利用制度を利用し、複数人による利用者の型であるとか、ショートステイベッドの有効利用など、様々な手法を使って施設と在宅の相互利用等も当然視野に入れるべきである。また、先に記してきたように地域の力を利用してと申したところで現実的には空念仏に等しい。
現実的には今日「高齢者の地域に於ける新たなリハビリテーションのあり方検討会」の報告書が27年3月の厚労省の介護給付費分科会に参考資料として提出された。その中で、これまで画一的なリハビリテーションが提供され、また訓練そのものが目的化し機能訓練が漫然と実施されており目標と期間を定めた計画に基づく適時適切なリハビリテーションを開始すると報告され、そのニーズ把握票なるチェックシートをも表示された(別紙1)。そのチェック表はまだまだ真に必要としている対地域社会の関係を具体的にイメージさせるものではないが、今私どもはこのチェック表から開始してみた。なぜならば利用者個人の施設生活上の目標を定める道具としては有効的であろうからだ。それは確かに通所リハビリテーション施設あるいは訪問、老健等のリハビリテーション施設にて使用することを想定しているが、だからこそ私どものような特養施設でも使用し、ICF的介護の実施の第一歩に近づけていきたいものだ。私どもは対地域との具体的関係性を作りえていない。しかし、その必要性は強く感じている。
しかし、その必要性は強く感じている。しかし何から始めるかさえイメージが出来ていない。それぐらい特養施設が具体的地域社会に於ける営みとは無関係な単なる地域に有る施設にすぎないのであろう。そのため私どもは利用者が何をやりたいか、個別目標を定めそれの具体化を通して具体的地域との関係を作りあげていきたいものだ。



2015年4月10日
金澤 剛


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