介護の領域を確定、そして向上させるのが私どもの仕事である

「陽光」グループ5ヶ年間の自立支援介護実践の中から見えてきたもの

 

〈はじめに〉

 1.特養現場の印象

私は5年前、特別養護老人ホームの施設長に職し、それまでの理事長職を兼ねながら初めて介護現場の現実を直視することとなった。
それまで私はのちほど説明する医療法人を中心としたいわゆる「複合組織」作り、またその経営に従事していた関係上、医療組織の経営都合上あるいは管理視察場として介護現場を見ていたに等しい現実でもあった。
そのような私がいざ特別養護老人ホーム(以下特養という)を直視すると驚きの連続であった。
その第一はスタッフの勤務具合であった。スタッフは当然交代勤務をしているのであったが、実質的に引き継ぎがないのに等しいのである。スタッフは時間がくると当然のように次の勤務者に代わり、また次の勤務者も当然のように与えられたポジションにつき、ごく自然に職に就くのである。そこには当然のように実質的な意味で引き継ぎはなく、またそれが如く当たり前のような介護現場であった。
そしてまた、利用者一人一人の介護目標、あるいは当施設に於ける生活の目標は私の目から見る限りないのである。
確かに、制度的に記録あるいは介護計画は定めて実施することにはなっているが、その計画あるいは実施記録などはあくまで計画のための計画であり、「特変なし」との言葉がやけに目立つ記録ばかりであり、記録の為の記録にしか過ぎなかったのであった。それは医療あるいは病院経営に何年も従事してきた私にとってはただただ驚きであった。
だが、しかしスタッフは何も介護を放棄しているわけではなく、側から見ても親切に丁寧にそれこそ利用者のあらゆる要望に応えているのである。
その現場を見るにつれ一方では頭が下がる思いでもあった。このような現状であった。
「介護現場」を初めて内に入って直視した私にとってそれはただ驚きそのものであった。
だが、何故そうなっているのかあるいは何故そうさせたのかを考えるとしごく当然のことと思えたのであった。
当時、そして今もそうであるが特養は社会的にも「終のすみか」と規定されそこに入所している本人・家族はもとより地域全体、社会全体にとってそのような特養生活がごく当たり前の風景であり、そのことに違和感をもつ方が正常ではないのである。
「介護」を支え、介護を仕事としている人達にとっては介護は利用者の生活を支えることであり、いわば合言葉としては自己決定を重視し、たとえ特養に入所したとしてもそれまでの生活の継続性を重視し可能な限り保障し、あくまで利用者の人間としての尊厳を守り抜く。これが職業としての介護の実践者の考え方とされていたのであり、今でもそうなのである。
だが、何のことかはよくわからないのも事実である。現実的には介護は利用者のお世話をするのが仕事であり、あくまで主体は当然利用者本人であると言い替えると理解が早い。だから、そこには先に記した引き継ぎの必要性など現実には必要性を生じることは生まれてこない。なぜならば本人の主体性を重んじるあまり当施設に於ける生活の目標などあえて明確にする必要は本質的に生まれることなく、従って特に人に伝える変化等発することのない毎日が続くがために先に記した現場の日常を生んだのであろう。
そこに必要なのはただ利用者に寄り添い、利用者のお世話をするのが仕事であるとのことが常識として定着したのであろう。
確かに介護保険制度が生まれた2000年頃は介護は夢ある仕事であり、若い人達には「やりがい」のある仕事であると語られ社会的にも認識される時代であった。そのため全国に介護学校などの新設が相次ぎ若い人たちもかなりの人気でこの世界に入って来た。だが、しかしいざ介護保険制度が実施され、職業としての介護が実施実行されるとほどなく介護=3Kしごととしてイメージが定着し、今や介護という仕事は若い人達にとって絶滅危惧種のような位置づけをされるに至ったのである。
それは今から思えば当然のことなのである。たとえば、施設に於いて先の現実を作りだしてきたお世話介護=寄り添う介護=見守る介護の現実は主体はあくまで当然利用者であり、その利用者は当然経ると死亡していくのであり介護側はそれにただ寄り添うのが仕事であり、介護者は利用者が安らかに死んでいくのをただ願うのみなのである。
それが重なると当然若い人たちは無力を感じ、当然のように疲弊するのである。
また、家族あるいは社会は家族労働の代行業として深く感謝し、その枠の中で役立っていることが若い介護人たちには見えてくるのであり年を経ずして介護現場から徐々に若い人たちが去っていく現実なのである。
私が見た介護現場の風景はこのような風景であり状況であった。


 2.特養は「終のすみか」

 また、一方社会の側も特養に対しては「終のすみか」以上の要求はすることがなかったのである。介護保険制度の運用が始まり、それまでの措置制度上の施設であった特養が個人との契約対象施設となり、それまでにも増して入所希望者が殺到し、入所困難な施設となったのである。
 その現実の打開策として介護度の高い人、重い人から優先的に入所できるよう運用をあらためた。その結果ますます家庭での介護が出来なくなった利用者の収容施設であり、その結果は「終のすみか」としての役割の純化を必然とし、その場はお迎えの日々にカウントする文化となり結果として寄り添い見守る介護を良しとする世界になったのであろう。
 その結果が私が見た「みかんの丘」」の5年程前の現実であったのであろう。

 

私はその現場を見て驚いたのであった。しかし、私は素朴に「どこか違う」と感じ、その自身の感覚に忠実に5ヶ年を経過してみた。その5ヵ年を今ここで少し整理してみる。

 

Ⅰ.自立支援介護の実践

 先にも記したが私は「みかんの丘」の施設長として専従する以前はグループ法人内の一事業所としての運営状況を定期的に視察先として見回ってはきていた。
その時、帰り道に常に頭に浮かんでいた事がある。それは確かに顔前に普賢岳、眼下に有明海を見下ろす風景明媚、三食が保障され、冷暖房が完備され常にお世話をしてくれる親切なスタッフが24時間常駐し、この施設での生活は一見何の苦労もいらない恵まれた生活である。また、私どもも利用者に可能な限りそのような生活を送っていただけるよう最大限の努力を常にした。
しかし、利用者はお目にかかる度に活きる力が徐々に消えていくのである。いわゆる目力が消えていくのである。このことに対する疑問が常に頭をよぎったのである。このような疑問も重なって私はいわゆる自立支援介護の実践に着手したのであった。


Ⅱ.自立支援介護の導入

 それは当時の施設の現状とは真逆のことであった。それは家族も本人も地域もそして介護する側も利用者本人のお迎えを待つ施設から活気のある施設への転換でもあった。それは今もそうであるが当時は利用者が施設に入所した途端、実社会とのかかわりを絶ちただ施設にて生活を送る生活から再び家族あるいは地域とのかかわりを取り戻す事であった。そのため、まず初めに実施した事は利用者一人一人に生活の目的をまたは今後の生活の夢をもってもらう作業から開始した。

 

ある人は再び家族のもとに帰り生活を、またある人は昔好きであった釣りを再び何とかやるために、またある人は昔行ったことのあるあのレストランで食事をする為に等々利用者一人一人の具体的目標を定めてもらう作業を職員に嫁したのであった。

 

 1.竹内セミナーへの参加

 その為人はただただ寝たきりで意識も朦朧とした状態、あるいは状況の認識に狂いが生じ、それが原因で様々な事の中で意識が生きている人達であったが、そこでまずはADLの向上を計ることを大前提としたのであった。
それを目標にして全国老施協が実験的に進めていたいわゆる「竹内セミナー」に組織をあげて参加したのであった。当時を振り返ると「みかんの丘」にとっては大転換であった。これまで施設全体で一つの理論を、あるいは考え方を中心にして利用者のとりあえずの目標を定め、まして「水、食事、運動、くそ」などとの4大項目の実施を実行するなどの経験は当然なかった。その結果、組織は当然大混乱に陥り、そのためか何人かの職員は去っていったがその状態の中でも私共を支えたのは利用者の劇的な変化であった。
ある人は寝たきりの状態でベッドの中がすべての生活の場であったが起き出し、椅子に座り、食事をし、ポータブルトイレで用をたし、また、胃瘻の為チューブに栄養を流す事により生活をしていたある人は口から食事をとるようになり、それこそ寝たきりの静まりかえっていた施設から活気に満ちた施設へと変化したのであった。
利用者に目標をもってもらうことは当然職員一人一人も「しごと」に励みが生まれ、職員も目標を定めることが可能となる。また、利用者の目標を達成するためチームワークも当然生まれ必然的に有効な「申し送り」も生まれる現場となったのであった。
その集大成が「おむつゼロ達成報告会」の開催とし、熊本のみならず全国の人達に私どものしごとの成果を報告する場をつくるに至ったのであった。

 

 2.運動の高揚期から安定期へ ~新しい介護あるいは介護論を必要とする時期へ~

 これまでただ利用者に寄り添い利用者のお世話をすることが介護であるとの常識から竹内理論と呼ばれる人内の生理に極めて忠実な介護方法を実践的に取り入れ、その世界で言う基本介護に忠実に実践することにより利用者に激変をもたらした。またそのことにより介護側にも激変を生んだことは先に記した。
 だが、しかし当時私どもは利用者の変化に一喜一憂は確かにし、そうであるが為に介護に充実感を抱き、毎日のしごとにいままでなかった満足感を持ったのであり全職員、全組織一丸となり「おむつゼロ」の達成に努力したのであった。
 そして、それを成し遂げたのであった。すると当然その維持が次の最大の目標となる。さて、この段階になり私どもが実践してきた行為の意味、普遍性などを私共の言葉で語ることが要求され始めたのである。
 はじめて人に伝える科学性が必要となり始めたのである
   どうするとオムツが外れ、または外れず
   どうすると利用者の認知症の状態が軽減し
どうするとペグの人が口から食事をとるようになったのか

それぞれの経験を一般論に普遍化することが要求され始めたのであった。

 

Ⅲ.自立支援介護の実践を理論へ

 1.この5ヵ年で私どもがわかったことから

今、私どもはこの5ヵ年の自立支援介護の実践の結果、介護の力で数多くの高齢者が元気な生活力を取り戻すことが出来ることに確信をもつことができた。この力を普遍化、一般化、理論化し、一つの勢力として社会的に主張する作業の必要性を感じている。私どもはその力こそ介護の力と証明する必要性を感じている。
それでは何故、今私共がそのような事を感じ、考えるに至ったか少し考えてみよう。その為に今一度この5ヵ年間で私どもがわかったこと、理解した事を整理してみよう。

第一に、現状に於ける介護現場は一般的にいわゆる寄り添う介護方法が主流であり、それが例えば特養界であればいわゆる「ユニットケア」の運営方法が理想的なそれであり、国も積極的にそれを推進し、あたかも介護のスタンダードであるかの如くである。
それは利用者個々人のそれまでの生活価値を重視し一人一人に合ったケアを実践するとし、それが現実の介護現場では一人一人の自立性を大事に結果的に介護側は寄り添い見守ることとなる。しかも現実の介護施設、特に入居施設特養等にあっては実社会との関係が薄れ結果的に利用者の社会性はうすれ希薄化し、結果的に生きる力を削ぐことに介護側が力をかしていくこととなっているのである。

第二に、一方で例えば竹内理論に基づいた介護方法などの人間の生理機能を重視した介護あるいは利用者の社会性を意識して引き出す介護などを実践すれば例えば特養等の入所者でも見違えるほど生活力があがり、活性をまし、ADLのみならずQOLの向上をはかることができ、結果的に再び元気、活性、活力を生み出すことができる。

第三に、介護する側、特に介護を職業とする人達に今一度介護の仕事に張りを生み、介護に夢を抱き、介護の力を信じるようになる。そのことは家庭における介護力をも強化することになる。

第四に、介護力に確信を持つ事はたとえば入所者が心身の増悪やけがなどで入院治療が必要となり、入院し、回復し、再び施設に帰ってくる利用者の過半が寝たきりになったり、オムツにて排泄をしたりあるいはチューブで栄養を保持し続ける等、ADLあるいは介護度を重くして帰ってくる医療の現実の中から介護の必要性を見出し、その結果の改善の努力に自信を持つのである。その結果、医療と相対的に自立した介護の領域に自信を持つに至ったのであった。

 以上4点に整理され、このことは私共に日本の介護の創造に自信とその現実的な実現性に確信をもたらしつつあるのである。

 

Ⅳ.「介護」と「医療」の関係あるいは領域について

 1.日本の介護の歴史

 私は先に『「日本の介護」を必要とする国、必要とする人達に伝えるために(2016年2月23日記)』を書き、その中の第二章に〈日本に於ける「介護」〉に日本に於ける介護の歴史はある程度記してきましたが、今回重複になるが、昨今の介護の流れにつき今一度簡単に整理して記してみたい。
 第一の流れとして措置の時代あるいは戦前からの福祉を支えてきた流であり、いわば日本福祉の源流を支えてきた流、福祉あるいは介護を支えてきた流れ、介護あるいは福祉の根本はあくまで「人へのやさしさ」であり、それが「介護のこころ」であるとあくまでヒューマニズムがすべての支えであるとの介護・福祉の本流。
 第二に、生まれを看護界にもち、看護そのものがあまりにも早く高度医療化に伴う高度技術を必要とする世界となり、ともすれば忘れがちな「看護のこころ」を切り取りそれを「介護」の世界に持ち込み「介護のこころ」とし、利用者のとらえ方と介護方法も「看護過程」をそのまま「介護過程」と名を変え介護感あるいは介護手法を確立しその専門性を主張しようとする流れ。
 第三に、人間活動の解釈として、ICF的概念に基づき人間は「心身機能構造」「活動」「参加」の要素をもち、その要素の充実の中に介護の領域がある。だが、しかしとりあえずADLの向上に力を注ぎ、その結果利用者に生きる力が湧いてくると必然的に対社会性も生まれる。その為まずADLの向上を目的とした心身機能の向上を図るとするリハビリ医を出自とする流れ。
 以上3つの流れが介護を語り実践している流れであろう。
 私はこの3つの潮流をすべてあるがままに受け止め、この3つの流れの合流点あるいは三本の流れを全て包み込んだところに日本の介護が存在すべしと考えている。
 それ以上今必要なのは「医療」との関係の整理あるいは医療との領域の違いを明確にし、そして関係を創りあげる必要こそ喫緊の課題であり、かつ、またそれは特に過去から続いている課題であり、その明確化の中に逆に介護の存在位置あるいは中身を整理する必要があると考えている。

 その為、介護から見た医療を多少見てみよう。

 

 2.「治療」が「介護度」を重くする現状について

 この5ヵ年間の実践を通じ、良く聞く話があった。先にも記したが現状整理のため今一度記す事にお許しを。
 それは例えば施設で何らかの理由で骨折し病院に入院し、手術を施行し回復しつつある利用者に対し、施設スタッフは早く施設に帰ってくることを切に願っている現実である。
その理由は病院にあまり長く入院していると寝たきりになって帰ってきたりする心配があるからである。このように病院がもつ治療文化に対し、自立支援介護の現場は常に疑問を持つに至るほど成長したとも言えるが、現実に病院治療は治療の名のもとにADLの低下あるいは介護度を増してしまう現実の問題である。だが一方で、この治療の現実があるため介護の必要性、あるいは介護の社会的有用性が一般的に「見守る介護」あるいは「家族労働の代行としての介護労働」の見方から専門的介護の必要性あるいは領域の設定が見えてくるのである。

 ここに時代に必要な介護の存在を見出したいのだ。その為に医療側の課題をもう少し深めてみよう。

 

 3. 20世紀は飛躍的に治療医学が進んだ時代であった

 現在にあってよく人は、現代医療は医療の高度化、専門細分化等の進化は合併症等を生み、あげくに医療は人間の疎外を生み出してきたりしている。よく医療はあるいは医者は病人を見ずして病気を見る等進歩に伴うマイナス部分を声高に語ったりする。
先に記してきた病院に入院したら寝たきりになって帰ってきたとの言葉もその世界の言葉であろう。

私はその現実は現実として認めるが、だから医療は、など医療側にレッテルを張ることはしない。その意味で介護世界で医療あるいは医療世界における看護世界が作りだした一部の-部分をことさら課題として持ち出し、介護の必要性あるいはそこに介護の専門性が内在するなどの主張には否定したい。もはやそのような理論構成で介護の専門領域を主張する時代は終わった。それよりむしろ介護の自立的な領域を明確に証明することが必要な時代となったのである。

 

 4. 20世紀は「治療医学」の進化であった

 治療医学とは病気になってから治療する医学の事。予防医学の対義語的に使われる場合が多いと定義されている。しかし、この定義も21世紀的定義であって20世紀そのものは予防医学等の独立した世界はない。
 医学は治療医学のことに等しかったのである。それは20世紀は「治療」およびそれを支える治療医学に対する社会的な期待と信頼が非常に強まった時代と言い替えることもできるほどであった。その結果今日でも治療とは病気の原因を取り除くということが根本的対処法であるとの常識が固定しているし、唯一人としてそのことに対しては異議をとなえる人はいないのである。そのことは例えば19世紀あるいはそれ以前の時代であれば医学および医療技術では大部分の病気を治す事が出来ずにいたからなおのことその確信が生まれたのであった。人類は病気に打ち勝った時代になったとも誤解される程でもあった。
 そしてまた、その確信は現在でもなお「治療医学」の発展進化は続いており、例えば癌をはじめ数々の難治性の疾患に対しその治療に向けての努力は続いているのである。多くのノーベル医学賞はこの領域の拡大に関しての世界的賛美であろう。

 

Ⅴ.「健康」が語られる時代21世紀

 今私どもが介護の領域の確定が必要となり、またそれが可能となってきたのは時代がそうさせているのであろう。20世紀後半1980年代になると人は単に「病」が治っただけでは「健康」にならないことが常識として語られる時代となり、そこには「健康」という概念の中に「治療」を内包する考え方が定着をし始めたのであった。
 別にそれは難しい課題ではなく、ただ単に例えば人は病が治ったとしても障害が残れば残りの人生が苦難につづく道であれば何もならないというように「健康」という概念を新たに必要とする時代となったことなのである。

 

そのことは時代は当然「治療医学」のありがたみはわかってはいるが、それよりもまして健康‐罹患‐健康回復の回路はわかってはいるが治療と健康回復のラインの間に地域社会システムあるいは言葉を変えれば「生活」が存在しなければならないことに気が付きまたそれを必要とする時代となったのである。

 

 1.QOLが治療の物差しとして使用される時代となった

 このことを別の切り口を使用しても説明してみよう。それは「医学モデル」「生活モデル」という表現手段を使って健康の概念を伝えることもできる。「医学モデル」「生活モデル」の分類は「障害」を語るところから生まれた。
 医学モデルでは障害という現象を疾病、外傷もしくはその他の健康状態により直接生じた個人的な問題としてとらえ生活モデルでは同じ現象を社会あるいは生活によって作られた問題とみなし、主として障害を持つ人々の社会への参加あるいは社会側からは統合としてとらえ、それは社会環境としてとらえ、その改善により障害を克服できるととらえるのであった。
 そのことは何も障害問題だけでなく健康の概念規程にも使用されるに至ったのである。
「ノーマライゼーション」「自主生活」「エンパワーメント」「リハビリテーション」「ターミナルケア」「疾病予防」等に同時代に医療の世界に用語として表れはじめたのであった。

 

そのことは医療が生活の質を基準にして計られる時代にもなったのであった。その時代は1990年代であり今ではごく当たり前に生活の質、あるいはQOLの向上等、医療を語る用語として使用しているが、それは何と今から4半世紀前の1990年代に定着しはじめた概念でもあるのだ。

 

 2.「QOL」「ICF」等の言葉が生まれる頃「職業としての介護」が自立し始めたのである

 世界保健機関(WHO)が人間の生活機能と障害の分類方としてICF(国際生活機能分類)を2001年に採択した。それまでのICIDH(国際障害分類)が機能障害が能力障害をもたらしそれは社会的不利をまねく、というマイナス回路を中心にして障害をとらえていたものから心身機能の他に活動、参加、環境因子、個人因子等の対社会性の総合因子により障害をとらえることによりプラス要素としてとらえる見方に変化させたのであった。この時代背景の中で我が国では公的介護保険制度が生まれたのであった。それと同時に「職業としての介護」の領域確定が必要とされたのであった。「介護」は先に記した20世紀に発展した「治療医学」の延長線では語れない領域を含んでいる理由であろう。

 

「介護」は「治療医学」とは別のラインを出自として生まれた世界であることを私共は今一度深く考えることが必要となっているのかもしれない。

 

Ⅵ.地域包括ケアシステムと介護

 時は医療・介護に於ける今後の政策上の帰結点を総称して「地域包括ケアシステム」と名付けている。それは医療・介護の領域にとどまらずいまや地域づくりの代名詞ともなっている。
 私はこの政策上の遂行に対し、大いに疑問を持っている。それは国があるいは地方自治体が様々にモデルケースを通知し、理想的な姿をガイドしているが現実は医療、それも地域に於ける中核病院等が中心となった医療秩序の地域支配体制づくりに終わることがあきらかであるからだ。
 それは地方にあっては顕著に表れることであろう。その世界は結果的に医学モデル的価値観により介護が語られ位置づけられるのが予想できる。言葉を変えれば入院患者の退院先を地域的にシステムとつくりあげるのが地域包括システムであるということもできる。その場合例えば、特養は「終のすみか」として固定され逆にそれぞれの介護保険のサービスラインは役割として固定されて初めてシステムがつくられるのであろう。

 

そこには医療と介護の関係は介護はポスト医療の位置であり、結果的に介護の自立あるいは独自の領域は生まれ出ることができづらくなるのである。そのことは私どもの5ヶ年にわたる自立支援介護の実践から生み出しつつある介護世界の成長をとめてしまうことが明らかなのである。

 

 1.それでは「地域包括ケアシステム」を点検してみよう

 地域包括ケアシステムはそもそも2003年にはじめて提唱された時は「介護サービスを中核としての介護保険制度として位置づけられ医療はせいぜい診療所、在宅医療に限定されていた計画書であった。(2015年の高齢者介護、高齢者介護研究会)そのためか医療界ではほとんど無関係、無関心であった。その後国は位置づけを変え、2025年を目途に高齢者の尊厳の保持と自主生活支援の目的のもとで可能な限り住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生最後まで続けることができるよう地域の包括的支援サービス提供体制として地域包括ケアシステムを位置づけ、あたかも政策のすべてをそこに収れんさせるがごとく推進している。
 国は平成25年地域包括ケアシステムの説明として住まい・医療・介護・予防・生活支援の5つの要素が互いに連携しながら住民が生活できるシステムを地域包括ケアシステムとしてのイメージ図を植木針図として発表した。

 

一方、国は「地域包括ケアシステム」は定番はなく、ただあるのはイメージ図だけであり、各地域の独自性にてつくりあげるシステムであると言っている。そうであれば現実的には地域に実在している病院、診療所、特養、老健、通所介護事業所、訪問看護介護事業所等の各種介護保険事業所等が現実的に有している役割を前提としたシステムが当然であり、それはシステムというよりネットワークでありそのキーワードは「連携」となるのであろう。

 

 2.地方ではもはや「地域包括ケアシステム」は出来上がっている

 さて、この問題が現実の地域でどうなるか、多少想像してみる。医療界では介護保険制度が生まれた2000年の頃、全国に広がった医療経営の姿がある。それは後に医療法人を中心としたいわゆる「複合組織」と呼ばれる医療機関のあり方である。
 地域の中核病院を中心にしてその退院患者の退院先として老人保健施設、特別養護老人ホームあるいは有料老人ホームなどの施設経営とそれを有機的に結ぶ。介護保険の各サービスラインを同一医療法人あるいは同一グループにて経営し、それまで一施設で完結していた患者管理を地域全体管理に広げ結果的に医療・介護・福祉の各領域を同一法人で支配する姿が全国に定着したのであった。それはそれまでいわゆる「総合病院」が地域の医療ニーズに応える機関としていたものから医療ニーズの変化と介護保険の施行などがあいまってその「複合施設」をつくることが医療経営の柱となった時代であった。
 結果的にその複合施設作りに成功した医療法人は勝ち組みとして地域を支配し、それに成功しなかった病院等は時代においていかれたのであった。
 そのことは土地代金の問題で都会では発展することはなかったが、地方に行けば行くほど顕著であり、地方社会では社会組織つくりに成功した医療法人などは地方に地域に君臨したのであった。
 また、その地域支配の強化に力を貸したのが皮肉なことに介護保険制度でもある。地域中核病院はその患者の健康データを取得することは業務上当然の事でありその必要により当然家族データ等も入手管理するのである。
 それにもまし、介護保険制度は結果的に利用者あるいは患者の経済状態、タンスの中まで知ってしまうことができるのである。業務の都合上、このことは地方に合っては地域住民の個人情報を一点に集中管理が可能となり、それを元に地域住民の健康に責任をもつことになるのである。
 そのことは一方で地域支配をも可能とする事にもなるのである。また、多くの複合組織はそれを専門に業とする機関をもつこととなり「地域連携室」「患者情報室」などと呼ばれる機関をもつのが通常の事となったのであった。
 このような地域に於ける医療機関配置状況の中で「地域包括ケアシステム」の推進の為、各県単位あるいは生活単位それよりも中学校区単位に地域割りしてその地域毎に各機関の役割とそれに基づく各施設の配置とそれを結ぶシステム等を計画した場合、具体的になればなるほど先に記した複合施設が作り上げている。システムの中に組み込まれるのは当然のことなのである。
 ここに問題が生じる。地域の中心医療法人が経営するいわゆる複合組織はその成り立ちから中心病院の退院先の確保として、また入院患者の予備機関として特養等の介護施設を位置づけている。
 そのため必然的に医療秩序の中で介護施設を見るし、それが当然のこととなり介護施設は医療機関の下請け組織に位置づけられることになる。
極端な場合、例えば在宅ケアであっても病院病室の秩序あるいは文化が価値判断の基準となり生活をも医療が支配するのである。

 そこには介護があるにも関わらず生まれ、成長し、独自の領域を創りあげる道を絶たれるのである。私は現在語られ、実行実施に移されつつある「地域包括ケアシステム」の問題はそこに顕著に出ていると思えるのである。

 

 3.地域医療計画の推進

 それにも増し国は世界に類をみないスピードで進んでいる少子高齢化社会の現状に対し、我が国の今後の社会保障制度そのもののあり方をもう一面からの検討を急いでいる。それは医療・介護・年金等全般にわたり検討している。それは医療提供体制の整備である。
 それが新たな「地域医療計画」であるそれによると2018年度から全国各都道府県でそれぞれに計画作成、完成義務づけられており、それに先駆け2014年10月より各医療機関がその実態の報告をする制度が開始されている。
 この結果地域にあっては疾病あるいは疾病に合った病院機能の配置が計画、実施され急性期から回復期、そしてポスト医療にいたるまで地域的に配置されることになる。
 この医療計画側の面と地域包括ケアシステム上の施設機関配置計画が合い重なって地域システムが作成され実施される予定、想定である。この構図の中で特養は当然「終のすみか」であり、地域構図の中で最終ポジションであり入口はあっても出口のない施設なのである。
 私は何もこの構図に異議を唱えているのではない。特養の役割として「終のすみか」は当然の事でありごく自然な事なのである。
 ただ問題なのはこの構図の中での特養は医療のお払い箱としてのそれであることに異をとなえているのである。特養は生活の最終ランナーとしての施設であるはずなのである。
 それでは何故そうなるのか。今一度しつこく考えてみよう。ここが一番問題であるし、この5ヵ年間で明確にしたい最大のことである。

 

 4.「介護」は「医療の場」を位置づける必要がある

 20世紀は「治療医学」の確立の時代であり、その結果今日にあっては大部分の病気を治す事が可能となり、人は「医学」「医療」に信頼そして更なる進化を期待するほどにもなったと記した。
 その結果人は病気はやがて治るものであり、それ故に病は一時的なものであるとまで思うほどの「治療医学」の進化は進んだのであった。
 その為治療は患者の自己責任よりもむしろ治療側・医学側に身をあずけ、その結果指導に全福の信頼をおくようになったのである。
 そして治療過程、たとえば入院時などは病者は患者と呼ばれ、その期間は社会保障等があり、労働等の社会的義務と役割は免責となるのである。
 患者は医療側の命令に受動的に従わなければならないのである。また、医者はこのようなことを可能ならしめるほどの権威を認められるに至ったのであった。
 また、「治療医学」の進歩はこのような医療と患者との関係を前提として進化してきたのであった。それと同時に医療側も医者を中心とした治療システムを完成させたのであった。そして社会そのものもそのシステムに同意したのであった。それ故に人は入院するとすべての社会生活上の義務から開放されるのが常識となったのであった。
 そしてその有用性は現在でもなお治療現場では当然生きているし、その秩序にて多くの病を治しているのである。
 しかし、問題なのは先に記したような時代の変化である。20世紀の治療医学からQOLあるいは健康を概念とした治療医学を内包する時代と変化したことにある。生活習慣病の撲滅が医療政策の重大な課題になったり、疾患を抱えながらの生活が技術的に可能になる程の治療医学の進化が進んだそれまでの医療側に身をゆだねていればすべて良いとの時代に終わりを告げるのである。それにも関わらず20世紀に進化した治療医学文化からなかなか抜け出す事が出来ないのが現在の医療が抱えている医療文化なのである。
 ただ問題なのはその医療文化的価値を治療の名の下に生活の領域まで侵入し、治療の名のもと生活に犠牲を強いることなのである。そのことが介護現場にて多発し、その結果介護行為より医療行為を優先することを強いることになったりしていることなのである。
 先に「地域包括ケアシステム」問題で課題として取り上げた問題はこのことなのである。

 

Ⅶ.介護領域の確立が急がれます

 以上の様な状況が私が5年程前か介護現場を見た違和感を生んだ要因であり、それを整理解決していく方向性を多少見えた事の現状報告である。私どもの5ヵ年の経験は日に日に介護現場あるいは生活の場にその必要性から押し寄せてくる医療文化に対し、それを否定することなく、生活の中に医療を位置づける方向性を早く指し示す必要があることを実感している。その為に私どもは介護の自立、また医療側とともに介護の存在の実用性を完全に理解し、そしてその領域を認め合い、その結果いわゆる連携の成立を実現する必要がある。
 今、私どもは自立支援介護の実践の結果、医療と相対的に自立した場の存在に確信をもつことができた。だが、しかしその世界を人に伝える力はいまだ持ち得ていない。それを創るのがこの自立支援介護の実践活動の第二幕であろう。
 「日本的介護論」「介護技術」の確立を急ぎたいのである。



2016年10月18日
金澤 剛


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